River (日本語)

昨晩、眠らないところから眠りへと移り行くその間に、ある暗い気持ちに胸が締め付けられた。それは人生の終わりのような感じで、意識が遠のき無くなるとき、どのようなことが起こるのだろうと取り留めもなく考えた。意識は眠り、消え、そして再び現れることがないのだろうか?僕が子供の頃でさえ、その考えに僕は打ちのめされた。

結局、僕たちが唯一知っていることは、僕たちは眠っていて、そしてまた目覚めるということだけだ。もし目覚めることがなかったら、そのときはどうなるのだろう?すべての眠りというのは小さな死で、僕たちが最後の瞬間に目を閉じ、今まで過ごしてきたこの人生にお別れを告げるときのための準備なのだろうか。

多くのスピリチュアルの実践は死を受け入れる儀式が含まれている。それらの多くは死を受け入れることを基本とし、人生は何時でも終わる可能性があることを受け入れ、これは本当に起こりえることとして生きていく。それらは実際そうなのだけれど・・・。結局のところ、僕たちに明日がやってくるかどうかなんて何の保証もない。世界は成り行き任せの悲劇でいっぱいで、僕たちの人生を短くしている。見込みとして、僕たちは明日が来るまで生き、30年から50年を生きるだろうということなのだ。しかし、気まぐれな事故が僕たちの命を奪う機会が残っているし、その場合、僕たちがしたかったことがすべてなされずに終わる。

僕はこれについて思い浮かべ、それを発展させたりする。時々瞑想の最後に、僕は沈黙や平穏な状態へ、もっともっと深いところへと自分自身を滑り込ませる。僕は骨が石のように重く、もはや筋肉によって支えらず、もしくは僕の肉体が解けてしまい、文字通り床の上で休んでいることを想像する。僕の骨は単なる物となり、すべての意識は消えてしまう。

そして僕は想像する。時間を前へと経過させる。日々が刻々と進み、太陽が空を横切り、そしてかつて僕のものだった骨と肉体は黙って土の上で休んでいる。無限に長い時間が過ぎ、空は変化し、生き物は生き、苦しみ、そして死に絶える。そして未来は歴史へと刻まれる。そして僕が抱えていたすべての関心事、僕がもがき苦しんできたこと、エゴ、欲望、勝利、敗北などは流れさり、永遠に忘れ去られる、そして最後にはすべてのものが意味を成さなくなる。

僕はこの日を、本当に僕の最後の日を、目を閉じ眠りに落ちる最後を想像し、そして自分自身に聞いてみた、どのようにこの日を過ごすのだろうかと。僕は何をするのだろうか・・・もし明日すべての僕の関心事が他の人の手に渡され、僕のニーズや欲望がこの世界から滑り落ちてしまったら・・・。

そしてこの質問に対する答えは・・・もしこれが僕の最後の日であれば何をするかという質問に対する答えは・・・いつも3つのことが含まれている。他の人たちに何かを分け与えること、僕の何かよいものを残すこと、そして僕の愛する人たちとつながっていること。僕の毎日の関心事である、次に何をするか、そして僕が今いる場所からどのように向上していくかということは単純に消えていく。そして最後に僕が持っていた何であれ、最もよいものを最も役に立てることができる人々へ、ただただ渡していきたい。

そして最後は、時間は流れる川のように、時には急速に、僕たちが見ることのできない源から僕たちがまだ知らない海へと流れ行くのである。この川に乗るのは喜びになりえるかもしれない。でも川は絶えず変わり続け、とても小さな割合を除いては、僕たちのほとんどはその川の流れを変えることでさえ僕たちの運命ではない。

僕たちは川(時間)ではない。僕たちは川への道でもない。僕たちは川に触れている石でさえもない。

しかし恐らく、ほんの一瞬、またはほんの一日の間だけ、僕たちは太陽の光が川の水面を輝かせるように、輝くことはできるかもしれない。あなた、僕、僕たちの友達、僕たちのあらゆる繋がり・・・僕たちひとりひとりの美しい一瞬の輝き、そこにはある瞬間があり、水面上を踊り、涼しげな水面上に魅惑的な美しいパターンを作り出す。そしてその瞬間、空高い宇宙や天から僕たちのことが見え、僕たちが共に存在したということが分かるのだろう。


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