Forgiveness (日本語)

あなたは今までに自分を許したことがあるだろうか。

自分自身に対して持ち続けている自責の念や悪い感情すべてをただリラックスし、手放したことがあるだろうか。あなたがしたひどいことに対する自責の念や、やりたかったけれど失敗してしまったことに対する深い後悔を手放したことはあるだろうか。

今日、僕は原宿駅のプラットフォームへ向かう渡り廊下にいて、線路を見下ろしたとき、ちょうど僕が乗る電車が駅に入ってくるのが見えた。僕はまだ渡り廊下にいたので、電車に乗れないかもしれないと思ったけれど、走るのをやめた。もし乗り遅れて待たなくてはいけなくなったとしても、それはそれでよかった。

そして僕は足早に階段を下りた。電車はとても込んでいたけれど、サラリーマンの前ときれいなコートを着て白いマスクをしている女性の間に小さなスペースがあるのを見つけた。僕はそのドアへ急ぎ、くるりと回り、ドアが閉まる前にそのスペースへ滑り込んだ。間に合った!

電車は出発し、僕はドアの上にある次の駅まで何分ということを示しているスクリーンを見上げた。次の駅は渋谷だ。けれど僕は渋谷と言う漢字を読むことができなかった。そして思った、僕は今のこの時期になっても渋谷と言う漢字さえ読めない!と。

そして後悔という小さな衝撃が僕の頭を駆け巡った。やりたかったのに、最後まで完成させることができなかったこと。するべきではなかったのに、してしまったこと。小さなことや、大きなこと・・・どれだけ今の時点までにもっと多くの漢字を学びたかったのにやめてしまっているか。どれだけ違う機種の携帯を買えたらと思っているか、もっとたくさんの人たちと話したいと思っているか、もっとたくさんの話しを書きたいと思っているか、どれだけ僕の祖父母にメールを送りたいと思っているか、そしてどれだけ自分がしたいと思うことをもっとしたいと思っているか・・・。

そして突然ある感情が僕の中から沸き起こった。パワフルな声と共に・・・「あなたはできるだけのことをしたのだ」という感情が。

あなたはできだけのことはしたのだ。

僕にはその声がどこからやってきたのかはわからない。エネルギーがよかったからかもしれない。昨日はよく眠れたし、今日はエキサイティングなビデオを撮ることができ、友達といいランチをとることができて、急ぐこともなく電車に乗り込むことができた。

その瞬間、僕はいい気持ちだった。でも僕の周りの世界はまだたくさんのジャッジ(判断すること、いいとか悪いとかで裁くこと)から成り立っている。

僕たちは子供のころからジャッジ(判断)されているようだ。始めは両親から、そして友達から、そして同僚から、でもそのほとんどは自分自身によってジャッジ(判断)しているのだ。ジャッジ(判断)することは僕たちの思考の一部になるまでそれは積み重ねられ、絶えることのない毒となって流れ出す。僕たちはいつまでたっても十分素晴らしい存在ではありえないのだ。

何はともあれ、少なくとも僕たち自身が僕たちは十分素晴らしい存在であると自分に語りかけなくては。

僕は電車の中で慈悲深い力が降りてきて、すべてのひとを温かく包み、僕たちに深呼吸をして、ただその言葉を言うようにと囁きかけているのを想像した。

あなたはベストを尽くしたのだ。そしてあなたは許されているのだ。

あなたがしたかったことをしなかったこと、あなたができなかったこと。あなたが犯してしまった過ち。あなたが持ち続けている後悔・・・すべては許されているのだ。

もちろん、僕たちはいつでもよりよくすることはできる。そして僕たちはよりよく生きることができるし、世界によりよい自分を提供することもできる。しかし同時に僕たちは前へ進むために自分自身を許す必要があるのだと僕は思う。

さもないとジャッジ(判断)の海が僕たちを溺れさせるだろう。いつも世の中にとって本当の意味で正しく、完璧であるすべてのものを埋めて見えないようにしてしまうという何か間違ったことが起こっている。真実というのはいつも隠されているのである。

僕の後ろのサラリーマンや、白いマスクをしている女性、電車の片隅に頭を傾けている孤独なティーンネイジャー。彼らひとりひとりが、その人自身の道において、完璧で美しいのだ。

手放す瞬間、僕たちは再び呼吸をすることができ、そして自由になれる。そしてその瞬間において、僕たちはよりずっと多くの正しいことをしたり、見知らぬ人に微笑んだり、誰かに愛されているということを伝えたりすることができる。僕たちが自由なときに。

渋谷に電車が着くとき、僕は大きなベルが僕たちの上に浮かんでいるのを想像した。いつもベルが鳴り、愛の波が街を洗い流し、ベルの音が聞こえなくなるまで、その間はすべての罪は許され、すべての夢は叶えられる・・・と。


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