Astral Weeks (日本語)

僕のお気に入りのアルバムは『Astral Weeks』だ。このアルバムはヴァン・モリソンが弱冠23歳の1968年にレコーディングされたものだ。それはこのような感じで始まる。

If I ventured in the slipstream
Between the viaducts of your dream
Where immobile steel rims crack
And the ditch and the back roads stop
Would you, find me
Would you, kiss my eyes
Lay me down in silence easy
To be born again
To be born again

歌詞はそこから始まって、8つのミステリアスで詩的な歌のシリーズが続いていく。ヴァン・モリソンは歌詞がふと彼のところにやってきて、彼自身、その歌詞のすべてを理解することができなかったと語っていた。まるでチャネリングのようだ。

『Astral Weeks』はある2日間の午後を使ってレコーディングが行われた。ヴァン・モリソンはレコーディング室にひとりで座り、歌い、ギターを弾いた。彼はほとんどのミュージシャンたちと面識がなかった・・・彼らの何人かはレコードプロデューサーによって集められた才能あるジャズスタジオのミュージシャンたちだった。ヴァンは彼らに指示をせず、ベストを尽くして彼についてくるようにと言っただけだった。

このレコーディングについては多くのストーリーがある。というのも、レコーディングはとても短期間で、変わっていて、このような驚くべき素晴らしいアルバムに仕上がったからだ。ある人たちによると、ミュージシャンたちはレコーディングが始まるのを待つ間、外に飲みに出かけ、その後、午後の数時間だけを使ってレコーディングしたとも言われている。僕はその部分は本当かどうかわからないけれど、そうかもしれないと想像することができる。

ヴァン・モリソンはビートルズやローリングストーンズのようにスーパースターではない。このアルバム自体は巨額の資金を賭けられ、成功しないといけないというプレッシャーを伴うような大きなリスクを背負うものではなかった。それはほとんど実験のようなものだった・・・期待をかけず、2日間の午後を6時間だけ割いて作られたアルバムだった。

しかし、なぜかすべてが揃ったのだ。何か深いものへの扉が開かれ、パワフルでスピリチュアルな力が流れ込んだのだ。その結果、このアルバムは多くの評論家の間でいつもトップアルバムのひとつとしてみなされている。それは確かに今まで作られたどんなアルバムとも違うし、実際にヴァン・モリソン自身もこれと同じようなものを二度と作ることはなかった。

And I will stroll the merry way and jump the hedges first
And I will drink the clear clean water for to quench my thirst
And I shall watch the ferry-boats and they’ll get high
On a blue ocean against tomorrow’s sky
And I will never grow so old again
And I will walk and talk in gardens all wet with rain

美しく、詩的で、パワフルで、即興的だ。それは二度と再び同じものを作り出せない瞬間からやってくるものだ。そして時にこのような形で、人生の中に不意にやってくる最高の瞬間だ。

僕は時々普通のコーヒーショップのビニールで作られたブース席の椅子にひとり座り、何の変哲もないアイスコーヒーを飲んでいる。

突然、温かい太陽が窓越しに昇り、柔らかな光を見、そして僕は周りすべてのものが、ただそのままであるということ、そのままでいいのだということに気づき、そして僕は世界が僕の中に流れ入るように僕の魂がオープンで、開いているのを感じることがある。

すべての美しい瞬間がそうであるように、それは予想不可能で不意にやってくるものだ。もし次の日に同じコーヒーショップに行き、待ったとしても、その瞬間は二度と戻ってこないのだ。それはシャイででミステリアスで、僕の視界の端っこで待っているようなものだ。僕がリラックスし、ガードを降ろし、その世界が流れ入るに任せるのを待っているのだ、まさに世界がそうであるように。

そのような瞬間が僕にどのくらい起こるだろうか?今年あと10回くらい起こるだろうか。人生の中であと10回くらいだろうか。ジャズミュージシャンが午後のワインを飲み、音楽を優しく奏でた時、宇宙への扉が開かれた魔法のような瞬間がどれだけ多くあったことだろう。

もちろん、そのような瞬間は人生における蜜のようなものだ。その瞬間を経験するということは、何年もの間続くような大切な思い出を持つようなものだ。解き放たれる瞬間・・・その特別な時間・・・僕たち二人がその変わった狭い小道を曲がることに決め、ウェイターがジョークを言う小さなレストランを見つけ、陽が落ちるまでそこにいつづけ、会話は軽やかに流れ、食べたものすべてに満足し、星が夜空に顔を出し、僕たちを照らしていた、あの特別な時間。

そのような瞬間を計画立てるということはできないようだ。その瞬間を増やす、ただひとつの方法は、計画立てることを減らすことだ。その瞬間の可能性に対してただ私たちのハートを開き、リラックスし、そして待つということ。何度も、そして何度も。そして、朝の太陽や、ふとした音楽や友人が冗談を言った時、僕たちが微笑み、そして世界に対してリラックスした瞬間・・・そんな瞬間に魔法が舞い降りてくる。

私たちはこのようなことを体験するように促すことができる。しかし結局のところ、これらは受け取る準備ができたときに贈られる、疑いようのない、天からの贈り物である。


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